起こらないシナリオ
電車が駅のホームに到着してもドアが開かなくて、今にも開きそうなドアのガラス越しに、ホームに立っているひとりの人と目が合う。完全に合っている。これから降りる僕とこれから乗る相手が、全く同じ「早くドア開け」という気持ちを持って見つめ合う。あと数秒以内には開くはずだから今更視線を逸らすまでもない。だから、ずっと目が合っている。
なぜかドアはまだ開かない。僕の後ろの高校生が「少しずれたから移動するんだよ」と言い合っている。言われてみればホームドアの中心からずれている気がしなくもない。そこまで考えながら、まだ目が合っている。なんでずっと見てくるんだと多分向こうも思ってる。こうなったら意地だ。
高校生たちの読み通り、電車が動く気配がして、それから実際にじりじりと動く。ホームドアと車両のドアの中心が合う。この間もずっと向こうの人と目が合っている。わざわざ目を少し動かしてる。お互いに。もしかして知り合いなのか? 思い出せない。思い出せないけど、今となってはウインクでもされそうな予感もする。当たり前だけど、ウインクはされない。知り合いだとしてもウインクなんかされない。されたとしても僕の方は返事のウインクをする準備ができていないし、片手を胸に当てて射抜かれちゃったよ的なマイムをするのも勇気がいる。ほんと誰なんだろうこの人。
ようやくドアが開く。ここはハイタッチか、グーを軽く当て合うパターンもあり得る。でも他人だから本当はそんな可能性はない。視線をやや残しながらすれ違う。すれ違う瞬間に耳元で、
「元気そうだな」
と言われることもない。手に隠し持ったメモを相手のポケットに忍ばせたりもしない。「そのTシャツ、素敵ですね。どこで買ったんですか?」と聞かれることもないし、人生でそんな質問されたことないし、聞かれても確か無印だし。視線が外れたから、もう再び見ることはない。あえて振り返らずに背中越しに右手を上げて(じゃあな)みたいな粋な見送りもしない。後ろから「向こうに着いたら、毎日手紙書くから!」と叫ばれることもない。なんだったんだろう、あの人。