一人前と戦後社会

『<一人前>と戦後社会』という岩波新書を読んだ。2024年に刊行された本だ。
 
 女性は男性よりも平均賃金が低かったり、いわゆるブルーカラーはホワイトカラーよりと同じように評価されにくかったりする……というような「一人前として扱われない(半人前として扱われる)」ことに、戦後の日本人がどう立ち向かってきたか、という内容だ。
 僕の印象に残ったのは、この本を書く目的に触れた次の部分。
「西洋にみられる権利意識が日本にはない(あるいは弱い)」という見方――すなわち西洋を基準とした“欠如論”を乗り越えようと努めてきた。
 
 人権問題、差別問題について話すとき、外国と比較して日本は遅れている、意識が低いという話によくなる。実際にそう見方もできるし、外国に倣って変わらなくちゃいけないことも多い。
 だけど、戦後の人たちが「一人前として扱われること」を求めて積み上げてきたことは、ただ「遅れている」「意識が低い」というよりも、自分たちが望むものに近づくために独自の工夫してきた歴史として説明される。これが、読む人に希望を与える内容になっている。
 
 僕はぬいつぎを開いてから、何人かの知り合いに「安定やお金よりも、やりがいを優先したんだね」と言われた。そんなこともないけど、と思ったけど、その場では何と答えればいいか分からなくて黙ってしまった。
 やりがいだって、立派な報酬なのだ。そりゃあ生活費は必要だし、贅沢だって少しはしたいけれど、お金ではない報酬をたくさん受け取って暮らしていけるのも大事だ。
 この本の中では、会社の中での役職として認められる「権利の承認」だけじゃなくて、自分がいること/やることに意味があると感じられる「価値の承認」を求めて闘ってきた人たちについて書かれている。その部分が特に面白かった。
 もう何年前になるのか、ドラマ『逃げるは恥だが、役に立つ』を見て「やりがい搾取」という言葉を知って、それについて色々考えた時期があった。やりがいだけ与えて、報酬(お金、評価)を与えないこと。他人のやりがいに甘えるのは時に悪だけど、仲間のやりがいを大きくするために工夫したり、自分のやりがいを報酬だと認めることはやめたくないな、と思った。