借りを書き留める

「私はこの子に借りがある」というイベントを2回やった。今後もまだまだやる。
 ぬいぐるみへの感謝や、その時々の思い、辛かったこと、背負ってきたこと、喜び。そんな色々を自由に語ってもらい、文章にして印刷物にする。2回やってみて、最初にイメージしていた通りになったなと思う。それが本当に嬉しい。記録されるのが、ぬいぐるみの記憶であると同時に、一人ひとりの人生の話になっている。僕は人の人生を祝うのが好きだ。
 ロシア文学の古典「アンナ・カレーニナ」の書き出しは有名だ。
幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。
 これは家庭に限った話じゃない。僕はこの書き出しと出会ったとき、そういうことならなるべく多くの種類の不幸を知ろうと思った。皆で幸福を喜び合うより、それぞれの不幸を見逃さないこと方が大事だと思ったのだ。
「私はこの子に借りがある」の参加者の人たちが語ることは必ずしも「不幸」なことばかりではない。それは不幸でしたね、なんて簡単に言えない。だから「借りがある」と名付けたのかもしれない。「いつか借りを返したいんです」とか「借りが大きすぎて返せないかもしれないな」と語る時間は、確かに幸福なものだとも思う。