創作『灯台』
たくさんの車が行きかう大通りを歩いていると、隣でタクシーが停まり、助手席の窓がスライドして下がった。運転席には水色の、耳の長い犬のぬいぐるみが座っていた。下りた窓越しに目が合う。僕はタクシーを停めた覚えがないので、とぼけて首をかしげて見せる。
「乗らへんか」
そのぬいぐるみは、下手な関西弁風の口調で言った。
「乗らない」
「頼むわ。タダでええから、少し付き合ってくれへんか」
車を運転するのはともかく、わざわざエセ関西弁を話すぬいぐるみは珍しい。僕はどんな展開になってもお金だけは払わないぞと決めて、乗ってみることにした。そのぬいぐるみは「ぷにわん」と名乗った。

そのタクシーは、最近のぬいぐるみ用に作られたモデルではなく、人間が運転するタイプの古い車種だった。マニュアル車や左ハンドルを好む人はいるけれど、人間用の車種にこだわるぬいぐるみは聞いたことがない。不便すぎるからだ。きっと、ぬいぐるみ運転手が増える前から車に乗っているベテランなのだろう。
ぷにわんは安全運転だ。ほとんど揺れない。

「だいぶ古くてガタが来てるんやけど、新しいのは高いからな。直しながら使ってんねん」
ぷにわんはそう説明した。
「修理も改造もだいたいのことはできるようになってん。油が体についたら一大事なんやけどな。ほら、見てみ」
そう言って、秘密めいた様子でぷにわんが指さした先(指はないけど)には、オレンジ色のボタンがある。気安く押してはいけない色だ。「起爆」という言葉を連想してしまう。やっぱり、この車に乗るのは間違いだったかもしれないと僕は思い始めた。

車はぐんぐんと人気のないところへ進み、ついには海辺に出た。
ぷにわんがエンジンを切ってサイドブレーキを引く。車を降りると、2人は灯台へ向かった。灯台はひとつの機能しか持たない建物にしてはあまりに大きく、海の上の人間を救うものにしては小さすぎるように見えた。
僕は爆発を逃れたことにほっとしつつも、わけが分からないまま、ぷにわんの後について灯台へ歩くしかなかった。

灯台の中はひんやりして、登った先の足場には頑丈そうな手すりがついていた。下から吹く海風が、ぷにわんの耳をたなびかせた。
「いったい、何なの」 僕は聞いた。
「あんたが知り合いに似てたから、声かけたんや」
ぷにわんは、どこからか1枚の写真を取り出して、灯台の上で見せてきた。僕は紙に印刷された写真を久しぶりに見た。

写真には、どこか小さな店のような場所が映っていた。ぷにわんと、その後ろに人間。
天井には旗がかかっていて、記念写真のようだった。端に「5周年」と書かれている。人間の後ろ、高いところにハンモックがあり、右には、なんだろう、洗面台のような場所がある。
「な、似てるやろ」
確かに、似ていないこともないかもしれない。僕よりは年上に見えるけれど。
「これはどこ?」
「ぬいつぎっていう、ぬいぐるみと本の店や」
「この人は?」
「そこの初代店長やな。それなりに長い付き合いだったんや」
ぷにわんは、遠くの海の方を見た。ちょうど陽が落ち始める時間で、空と海の両方が青色を手放し始めていた。
それからぷにわんが語ったところによると、ぬいつぎはまだ今もあるらしい。
東京の三鷹で始まって、全国数カ所、海外でも営業している。初代店長(いいむらという人らしい)が亡くなってからは、その意志を継いだ仲間とぷにわんで続けている。ぷにわんは「名誉副店長」という肩書らしかった。
「いつか船で移動営業するのが目標やったんや。それで最近ようやく、わいの車の改造が終わってな。あのボタンを押すと水上モードになるんやで」

「いつも乗ってた車でな、これを船にして海に出ようって、話してたんや。ちょうどこの灯台の上から、出発する方角を決めてな」
ぷにわんの口ぶりから、その船旅はまだ叶っていないのだと分かった。
「そこで、どうやろか。せっかく初代店長と似てることやし、わいと一緒にぬいつぎやってくれへんか」
僕はつい、曖昧にうなずいてしまった。来月学校を卒業した後のことが、まだ決まっていなかったから。

水上モードに変身することなく、地面の上だけを走って車は「ぬいつぎ」に着いた。
壁の世界地図には、ぬいつぎの支店がある場所に赤いシールがあった。物の配置が少し違うものの、さっき見た写真の通りの店だ。この店は何年営業していて、ぷにわんは何歳なんだろう。
「さて、今度こそ、一緒に海に出るで」
ぷにわんは、張り切った様子で言った。
(完)