へなちょこガウディ

 店を始めることで感じた大きな変化の一つに、子供の頃から今までの数十年に存在していた自分が目の前に現れて答え合わせをしにくる感覚がある。これだけ書くと伝わりにくいし、伝わったとしてもバック・トゥ・ザ・フューチャーの話だと思われそう(思われない)なので、少し説明する。
 僕は、子供の頃にテレビでホリエモンが大暴れしていたのを観ていた。ノーネクタイの「ベンチャー」の人が、見るからに大きな会社に食ってかかり、手に入れようとしているように見えた。人生で初めて時価総額という言葉を知った。起業ってすごいなと思った。なんとなく格好良く見えたのだ。
 大学に入ると、周りの人は大手の安泰な企業に就職するか、それこそベンチャーを立ち上げることを夢見ている人が多かった。人気コースは金融かインフラで、リーマン・ショックがあっても、原発事故があってもそれは変わらなかった。僕は金融もインフラもピンと来ないし、「シンクタンク」「コンサル」などに至っては何者なのか理解できなかった。僕はそういう道に向いていなそうだし、心のなかにホリエモンも居なかったから、教師になることにした。なると決めてからは、どんどん情熱が生まれた。
 教師は、目の前に「未来」が実体を持って存在している世界だった。僕は未来のために働いているのだから、少しでも先の未来を想像しなきゃならないんだと考えていた。そうしているうちに、未来の想像の切り口が人によっては金融であり、インフラであり、ITベンチャーなのだと思うようになってきた。自分以外のために生きることの実感も湧いた。
 教師を辞めて、ロシア語を勉強したり、本屋に手伝いとして出入りしているうちに、起業してみようかなと思った。会社をおこすのではなく、店を開くという方法で。
 ホリエモンを含む、あの年代の起業家の今を見ていると、なんだか疲れてしまうし共感しにくい。だけど、起業とは何で、事業とは何なのかと視点で覗くと「ああ、この人たちはずっとこれをやっていたのか」とようやく腑に落ちた。この人たちの未来の想像法はこれなのだ。僕とは違うだけで。
 僕は5坪の店舗を、個人事業主として開けている。こうなるべくしてなった、という気持ちで。
 ふらふらしているように見られているだろうけど、どの年齢の自分とも、僕は矛盾していない。目の前に過去の僕が現れて、答え合わせにやってくる。大掛かりな答え合わせをしながら、毎日が小さな作業の繰り返しで過ぎていく。この気持ちを大きく長く広げたのが、ガウディのサクラダファミリアだったりするのかなと思う。自分が生きていない未来を想像しながら、毎日を作るんだ。