可処分

「可処分所得を何に使うか」とか「可処分時間の奪い合い」とか、そういう表現がとても苦手だ。嫌いなのかもしれない。仕事や生活のために必要な部分を除いたときに残る、自由に使えるお金が可処分所得で、時間が可処分時間だ。
 ぬいつぎのような店をやって、イベントを開いたりしていると、「可処分時間をいかに使ってもらうか」という言い回しが身体にまとわりついてきて、もののけ姫の祟り神のような姿で歩いているような気がしてくる。
 お客さんに時間を使ってもらうのは事実だけれど、可処分時間という言葉の冷たさよ。カショブンジカン。意味の分かりやすさしか良さがない。僕たちの尊い時間は、可処分なのですか? そうですか。
 
 最近、「ありつく」という言葉の意味を調べた。仕事にありつく。飯にありつく。
 「求めていたものがやっと手に入る」という意味の他に、「住みつく」「落ち着く」という意味があるらしい。つまり、欲しいものが手に入らなくて落ち着かない日々が終わるということだ。
 食べるものに困った空腹の人が飯を得る。どこに住んでも水が合わなかった人が理想の街に出会う。「ありつく」は、持たざるものだった過去を忘れないまま、肯定してくれる言葉だ。
 過去を処分したり、清算するのは時には必要だと思うけど、方法はそれだけじゃない。
「ああ、ようやくこれにありついた。これに出会うために、今までがあったと思うことにしよう」 そんな風に思う未来のために、可処分なものも処分しないまま生きてみる。