できることしかできない

かなりうろ覚えだけど、確か辻村深月の『スロウハイツの神様』で、ある登場人物のひとりが「何でもできるね」という評価に対して「そんなことない。私は私ができることしかできない」と答えるやりとりがあったと思う。
昔読んだときには、一種の言葉遊びというか、このセリフを言う本人にしか真意が分からないようになっている言い回しなんだと思った。でも最近、開業準備や他の仕事をしながら「できることしかできない」が、ものすごく普遍的なことのような気がしてきた。
例えば僕には内装工事はできない。技術を身につける経験をしていないからだ。大きな油絵の絵画を描くこともできない。できるようになるために何が必要なのかも分からない。
でも、内装工事をしたり、油絵を仕上げたりに比べるとすごく些細なことではあるけど、僕にもできることはある。家で洗濯したり、ゆるいイラストを描いたり。
生きてて色んな考え事や後悔をして「できないこと」だらけの宇宙の中で、どの星にも辿り着けないことで苦しくなることもあるけど、僕は宇宙服のポケットにペンとメモ帳を入れていればイラストが描けて、宇宙服の洗濯だってもしかしたらできるかもしれない。そうしたら「おっ、お前なかなか絵が上手いな。あの星に行くまでの地図を描いてくれ」と、荷が重い頼み事をされるチャンスだってあり得る。地図をなんとか描いて、みんなの宇宙服を洗っていたら「君って何でもできるよね」と言われたりして「できることしかできないよ」と答えるのだ。