ここはとても速い川

『ここはとても速い川』(井戸川射子・作)を読んだ。野間文芸新人賞受賞作。すばらしかった。なんとか1冊仕入れて、本屋フォッグでも売ることにした。小説の単行本は、あらすじが裏表紙に書いてあったりしないからか、店頭で買われにくいんだけど、それでも誰かに読んでほしいと思った。
子どもは子どもの目線の高さで物を見ていて、大人とは違う時間感覚で毎日を過ごしている。数日、数か月先、数年先に何が変わっていて、何ができるようになっているかという感覚が、なんとなく経験で測ることができる僕たちとは違っているのだと思う。僕たちから見れば何の変哲もなくて頼りない物、例えば普通のノートのような物でも、子どもによっては拠り所になったり、時には武器になったりもする。それは子どもが未熟だからではなくて、大人になった僕たちもそういう経験をして生きていけるようになったということなんだろう。
僕は小学4年生の終わりに親の転勤の都合で引っ越した。そこそこ仲のいい子もいた学校から転校することになり、メールとか携帯電話の連絡手段を持っていなかった僕は、かつての同級生と繋がろうと思ったら手紙を書く必要があり、封筒に入れて切手を貼って郵便ポストに出す、という一連のことを親の助けなしではできなかった僕は、紙に思いを綴って出すことを親に知られる気恥ずかしさもあって、結局ほとんど手紙を書かなかった。転校前の最終日、クラスのみんなが色紙を書いてくれていて、中には個人的に手紙をくれる人もいた。一番よく話していた女の子のNちゃんがくれた封筒の中には、ポケモンのリザードンのフィギュアと「ぜったい返事ちょうだいね」という手紙が入っていた。Nちゃんは手紙に住所を書いておらず、連絡網(今だったらありえないけど全員の電話番号が開示されていた)から電話をかけるという発想も僕にはなく、もちろん親にNちゃんの手紙を見せる勇気もなかったので、返事は一度も書かずじまいになった。それでも引越した後、新しい学校になじめずにいる間、「どうしてリザードンなんだろう」とたまに考えずにはいられなかった。リザードンがNちゃんの好きなポケモンだったのか、僕にはほのおタイプが似合うと思ったのか、結構レアで大切にしてたやつなのか、逆に2つ持っててあげてもいいやつだったのか。僕はなんとなくかっこいいから嬉しいなと思っていたけど、今思えば、あのリザードンのフィギュアは僕にとっての武器であり、Nちゃんは図らずも僕に武器を授けてくれたんだと思う。