ハードグミ系プライド
ついこの間「真面目にやって損をする」という記事をここに書いた。
楽しさと、ある種の生真面目さが衝突したときに、つまらなくたってルールや原則を守りたいという気持ち。だって、長い目で見たらそっちの方がいいはずなんだから。そういう気持ちを思い起こしながら書いた。「真面目が報われないからって、それがなんだ!やっていくぞ!」というストロングスタイルの話でもあった。
ここからはややこしい話だけれど、上のストロングスタイルを自身が貫くことと、他人に「真面目な人が損をしたっていいじゃない」と言わないでいることは両立する。というか、そもそも矛盾していないよって、急に書いておきたくなった。
真面目であるがゆえに意見を言って煙たがられたり、時には不遇に追い込まれたりした経験がある人に、「そんなに真面目だと疲れちゃうよ?」と言うのが危ういことは分かりやすいと思う。じゃあ、「真面目で損したっていいじゃない!」と言うのはどうか。これも、コンディション次第では心が折れそうだ。どうして諦めなくちゃいけないんだ、とも思うし、そもそも損得の問題じゃないんだよとも言いたくなる。
真面目でいること、自分の中の正しさに誠実であろうとすることは、いわばプライド、誇りの問題なんじゃないか。
それを損得の問題に置き換えて矮小化しない!というのがストロングスタイル。
とは言え、僕たちは人間だから、誇りも時には揺らいだり、柔らかくなったりするわけで、そんなときこそ目先の「損」が効いてきてネガティブになる。ああ、どうしてこんな扱いをされなくちゃいけないんだ……。そう考え始めて気が付けば、真面目が損にならないように誰かと戦い始めたりしている。
正解は分からないけど、僕は最近、誇りの柔らかさを前もって計算に入れて真面目でいられるようになってきた。
たまに心の中にいる誇り高き自分に怒られたりはするし、「あなたも丸くなったね」と言われたらなんだかムッとするけれど。
ポッキーだった自分の誇りが、ハード系のグミくらいの柔らかさと硬さに落ち着けばいいかなあと今は思っている。