敬意と衝突
パワハラは許されるべきではないというのは当然として、「この人のこの言い方、すごく嫌だな」「わかる、自分も苦手」「そうかな、僕はむしろオモテウラがなくて好きだけど」みたいな、人からの圧に対する耐性の差を表明する会話とか、人間関係の好みの話とか、もっと多い方が良いと思う。ハラスメントじゃないけど好みではない、とか、前時代的すぎるけど割と好きとか、あると思う。皆が同じものを優しさとみなすわけではないから。
差別的な表現をする人は、指摘されれば逆上するか、黙ってしまう。そういう人の中にはきっと根っからの差別主義者じゃない、人間関係を考え抜いてその言葉を選んでいる人もいるんじゃないかと思う。差別表現が許容されるべきだと言いたいわけじゃなく、物事をろくに考えない輩だと決めつけるのが早い社会に、少しずつなっている気がする。
本を読んで自分の過去の差別やハラスメントを反省したりする。過去の自分と似たことをしている人を見て強く批判する。批判するのが過去の自分ならそれは自分だから良いだろうけど、似ているだけの他人を無教養の分からず屋のように扱うのは敬意に欠けた行為なんじゃないか。でも一方で、敬意を示せる賢い人は、自分の中に怒りを詰め込んで疲れ切ってしまう。疲れ切って倒れる前に、批判の代わりに対話が必要で、その対話に酒が必要な人は飲んだらいいし、星空が必要な人は寝転んだらいいし、音楽が必要な人は歌ったらいいんだろう。