開かずの踏切
1カ月前くらいに少し混んでいるマックで「いつまで待たせるんだ!」と叫んで店員さんを困らせている人が肩を怒らせて帰っていくのを見かけた。こういうのが珍しくはない、居心地の悪い出来事であることも「そういう振る舞いをせずにいるためにはどうすればいいのか」みたいな話もここではしないことにして、今日考えていたのは、あれが店員さんがいる場所じゃなかったら、あの人の怒りはどこに向かうんだろうかということだ。
例えば「開かずの踏切」の前に立っていると、急いでいなくとも僕もイライラするときがある。大抵の場合はぼーっと待っていられるんだけど、踏切に出る赤い矢印が途切れないことに不機嫌になってしまう。マックで怒鳴っていたあの人が、同じ踏切の前にいるとして、担当者らしき人間がいない場所でも「いつまで待たせるんだ!」と声に上げる光景は想像できないけど、踏切を上げ下げするスタッフのような人が立っていたら、その人に対して怒鳴る気がする。「踏切スタッフ」の人には電車を止める権利はなくても、目の前に聞いてくれる人間がいれば文句を言うんじゃないか。
何が言いたいかというと、セルフレジとか無人窓口が増えて、人間に要望を伝えられる機会が減っていくと、普段からイライラしている人や攻撃的な人でなくても、どこかおかしくなっていくんじゃないかってこと。孤独の蓄積というか。厄介な人間になっていく手前の段階で、ちょっとしたストレスをお互い受け入れながら暮らしていった方が、孤独が人間と社会の中に溜まらずに済むと思う。でも、コロナ禍で外界から切り離されて過ごす気楽さを感じてしまった人は、なかなかそれが難しいよな。