真面目にやって損をする

ルール違反に甘かったり、サボってる人を評価したりすると「真面目にやってる人が損をしないようにしたい」みたいな言葉が飛んでくる。だけど、真面目にやってる人が損をするのは経験上ほとんど当然というか、真面目、より正確には「頑な」でしかいれなかった時期の自分はことごとく損をしていたから、何を今更という気がする。損をしてでも原則を守りたいとか、時間が経って皆が忘れた頃に得するはずだと信じて貫くものだ、真面目というのは、とも思う。
一方で、僕自身は真面目というよりは「遊び」が少なく「良い塩梅」が分からないのだろうなと薄々分かってきて、それを子供の頃は「ノリが悪い」などと評されてきたのだろうなと振り返る。ノリが悪いという言葉が嫌いだった。
「遊び」「良い塩梅」が分からないだけで実は真面目でも誠実でもない自分が、どうやって心を周りに開いていくか、「真面目」という印象を失うことを恐れないまま誠実な人を目指せるかということを、うっすら何年も取り組んでいるんだろうと思う。一番の敵は臆病だ。
最近読んだ石田夏穂『我が手の太陽』は、僕にとってはそういう小説だった。プライドと真面目と臆病。