しかしまだ夜なのだ
わざわざ見に来たくなるウェブページを目指すと言っておきながら、こうやって書いている文章を読んだり、読まずともぺージを訪れてくれる人が本当にいることが信じられない気持ち(※独立開業前の別のウェブサイトのこと)。ありがとうございます。誰も見ていなくても続けようと思っているけど、毎日少なくても10人くらいアクセスがあるから何とかやっていけている感じは正直ある。
なんだかんだ生きていくためには仲間というものが必要なのだとしたら、こういう繋がりがそれなんだと思う。別に「あなたは僕の仲間か?」「ああ、そうだ」といった確認も必要ないし、同じ海賊船に乗る必要もない。ここで文章を書いて、2人の人がそれを開いたことが分かれば、2人と人生の何かが交差したわけで、それも仲間だと思っていい気がする。今日読んで「つまらないな」と思って二度と来なかったとしても、今日は仲間ということにさせてもらう。世界に敵ばかりだと思っていると、やってられない時ってあるじゃないですか。
10年前、哲学のマンガを描く人をTwitterで見つけて好きになって、その人の作品の更新が止まってからDMでファンレターを送ったことがある。ファンレターと言っても「読んでます。待ってます」という事実を伝えただけ。その後もマンガの更新はないけど、6年ほど経ってからまさかの返事が来た。びっくりして、あまりに嬉しくて、どうしてDMは画面の中にしか保つことができないのだろうと思った。それだけのやりとりだけど、その6年間で僕たちはお互いにコロナ禍をやり過ごしたのだと分かる。自分と同じように、その人をフォローし続けている人も仲間だと思っている。
「見張りの者よ、今は夜の何どきか
見張りの者よ、夜の何どきなのか。」
見張りの者は言った。
「夜明けは近づいている、しかしまだ夜なのだ。
どうしても尋ねたいならば、尋ねよ
もう一度来るがよい。」
その方がコロナ後に引いていた、旧約聖書のイザヤ書 21:11-12。僕はクリスチャンではない(そのマンガの作者の信仰も分からない)けど、同じ世界を生きていた仲間であると、この引用からも感じることができる。